ふるかわピアノ教室 -講師紹介-

講師紹介

ピアノ講師 古川まさえ

 幼少の頃より、転校が多かったわたしは、言葉や文化、風習に慣れるのに時間がかかる事があり、特に仙台に在住した小学校時代は、音楽に救われて来た。

 音楽の教師にとても気に入ってもらえたので、事あるごとに舞台で演奏する機会をいただき、まわりから認められるようになった。

 エレクトーンから始めたわたし。

優しい先生、厳しくも技術を指導してくれる先生、熱血でソルフェージュなど幅広くプロへの道へと導いてくれた先生など、今のわたしの基礎を築いていただいた。

 小学校6年生の時には、音楽の教師が卒業生の演奏の場を催してくださり、そのおかげで仙台放送の子ども番組に出演して演奏。

 音楽の教師も、当時のレッスンの先生も、わたしの両親もとても喜んでくれたのが、嬉しかった。

 この時、テレビ局に推薦してくれたのが、クラスの友だちだったと聞いて、たくさんの応援をもらっていると感動し、それからだんだん自信を持てるようになって来た。

 

 中学に上がり三年間、毎年転校することになったが、自信がついて来ていたので、積極的に関わることで友人も増え、上京してからは銀座のヤマハでジャズが好きな先生に出会う。

 この出会いがきっかけで、子どもが作曲するコンクールにチャレンジしたり、ヤマハのコンクールに出場する。

 

 高校生になると、クラス対抗の合唱コンクールの伴奏者として編曲もして、とても充実した学校生活を送った。

 音楽の学校に進学するつもりでいたわたしに、母から英語で進学する事を勧められ、英文科へ進学。

 その後、ヤマハで講師に転職した時にも、幼児科の英語教材作りにも関わったり、海外からの研修生のアテンドをするなど、とても良い経験をさせて貰えた。

 どこにいても音楽はわたしの一部であり、英語でのコミュニケーションでも音楽が生かされている、そして誰とでもどのチャンネルでも話せる豊かさは、長年の音楽人生からの賜物だと感じた。

 2人の子どもがいる中で、恩師のツテでピアノの出張レッスンを始めていった。

 ドラムも習って、充実した音楽ライフの復活。

 

 そんな時に、末期癌で自宅療養の舅の看護、認知症が悪化しつつある姑の介護を同時に一人で請け負う事になった。

 子どもの学校のPTAの役員、子どもの中学受験、出張レッスンと合唱団の伴奏も引き続きあったので、かなり体の負担だった所、それから4年後、わたし自身が乳癌III期、余命宣告を受ける。

 まだ子どもが二人とも中学生だったので、抗癌剤による体のダメージと、精神的にも辛く、その後、6年後に姑が他界するまでの介護も自分の治療も、夫の理解がないため一人でこなさなければならなかった6年間は、人生で初めての忍耐になった。

 

 幼少期のスキンシップは高い自己肯定感に繋がり、聴覚、運動機能が発達する時に、子どもに合ったやり方で習い事―わたしの場合は音楽―の環境を作ることは、とても大事だと思う。 

 音符は言語だといつも話しているので、音楽の国の言葉を読んで歌って書いているから、もうバイリンガルだね、と言っている。

 好きな曲、弾きたい曲、誰かにプレゼントしたい曲を自分のレベルで弾ける事は、自分自身をも癒し、自分に自信を持ってもらって自己肯定感をアップしてくれる。

 その人や、周りの人を幸せにするし、潜在能力を引き出してくれる。

 今の生徒さんたちから、私自身の自己肯定感が上がるというプレゼントを頂いている。

 どんな人生に進もうとも、自分を認めてあげられるようになって自信を持って生きていける。

 そのお手伝いをさせて頂いているピアノ講師としてのわたしは幸せだと思う。